2017年11月27日18:23
野菜好きにはたまらない/一日分のビタミン 野菜たっぷりのおうどん(^O^)/掌さんにお邪魔しました(まつだ)
まつだです(^O^)/
掌さんとは、藤井寺の商店街にある野菜がたっぷり入ったうどんが頂ける野菜好きの僕にはたまらないお店です。
お店の雰囲気もよく、昔の怪獣の人形やレトロな雰囲気でどこか懐かしくなるようなものが店内にかざられており、おしゃれな感じでした。
メニューは様々あり、野菜だけでなくカレーうどんや肉うどんなど定番のうどんもあり、ました。その中でもカレー野菜うどんが一番の人気だそうです。
季節のメニューなんかもあり、秋が旬の野菜を中心とした茸系や根菜系が入ったうどんなどのメニューがありました。流石に全部おいしそうで迷ってしまいますね。
その中でも僕が頂いたのは一日分のビタミンが摂取できる野菜うどんです。
モチモチでコシのある麺を2,3本箸ですくいあげ、器を口元に近づけ野菜のダシと混ざり合った少し酸味のあるダシと一緒にすすると一気にダシの酸味とうどんのコシが絡み合い、ベストマッチを起こし口の中に広がりとてもおいしかったです。
また、程よく煮込まれた野菜は、まだシャキシャキしており、歯ごたえ満点!
これもまたうどんによく合います。
また、マコモと呼ばれる瓜の仲間で珍しい野菜の天ぷらも頂きました。
なんとこのマコモ…加工によって枕になるそうです。
なんとこのマコモ…加工によって枕になるそうです。
気になる味ですが、個人的にゴボウ的なものを想像していたのですが、柔らかく触感がよく少し甘味があり不思議ととてもおいしい野菜でした。
レアな野菜に出会えてよかったです!
なぜうどんに本格的な野菜を組み合わせたのか?
それは食材の研究を続けている店主さんと野菜ソムリエの店主さんの奥様が野菜をおいしく摂ってもらおうという思いから野菜うどんが完成したそうです。
うどんと野菜の組み合わせはあまり珍しくありませんが、本格的なうどんとソムリエさんがブレンドした野菜が一緒に味わえるのはここだけでしょう。
是非一度、掌さんに足を運んでみてくださいね!
【掌(たなごころ)】
住所:〒583-0026 大阪府 藤井寺市 春日丘1丁目-2-3
電話:072-931-2723
営業時間:10時30分~16時00分, 17時30分~21時00分
定休日:日曜日
2017年11月27日18:20
菅原道真 学業成就で有名 道明寺天満宮/歴史ある老舗料亭 梅廼家さんに訪問(上野)
四天王寺大学 2回生 上野です。
9月27日 (水) 道明寺天満宮と料亭・梅廼家に訪問してきました。
まずは、道明寺天満宮について紹介をします。

住所:藤井寺市道明寺1-16-40
営業時間:9時~17時
道明寺天満宮は、土師氏の氏神として成立し、のちに土師氏の子孫でつながりの深い菅原道真を祭紙に加え天満宮となりました。
学問の神様として信仰を集めています。宝物館には、菅原道真公の愛用の品と伝わる国宝、伝菅公遺品をはじめとして多くの貴重な文化財が所蔵されています。梅の名所として名高く、毎年2月から3月にかけて多くの参拝者が境内の梅園を訪れます。

上の写真は、道明寺天満宮の中にある「撫で牛」と呼ばれる牛の像です。
撫で牛とは、自分の体の悪いところを撫でた後、その牛の同じ個所をなでると牛に悪い病気が移り、治るという風習です。
撫で牛は、ベタッと地面に座り込んでいます。これには意味があり、それを紹介したいと思います。
901年、菅原道真は、政治闘争に敗れ北九州に流されます。その後失意のうちに亡くなり、遺体が牛車で運ばれているときでした。牛がある場所で突然へたり込んで動かなくなったそうです。
これは、菅原道真が、ここを墓にしてほしいとの意思と判断し、その場所を墓所としました。それが後の太宰府天満宮となります。
それ以降、菅原道真を祭る神社は「天満宮」と呼ばれ、天満宮では牛が神獣とされています。そして撫で牛は墓所を決めるきっかけとなったへたり込みがイメージとなっています。
次に、さざれ石について紹介します。

さざれ石も道明寺天満宮の中にあるもので、国歌の「君が代」の歌詞にでてきます。
この岩は、白亜紀後期(約七千年前)の和泉層礫岩です。悠久の歳月の間に多くの小石が寄り集まってできたもので、河内長野市滝畑から平成の御大展記念として、道明寺天満宮に移されました。
撫で牛のポーズに意味があったり、国歌の歌詞に出てくるさざれ石があったり、道明寺天満宮にすごく興味を持ちました。
推古天皇の時代からある神社らしく、歴史を感じました。
次に、料亭・梅廼家について紹介します。
梅廼家は、道明寺天満宮の石段下にある料亭です。
料亭:11時~22時、最終スタート、19時から。
割烹:11時~14時、13時~21時30分です。
定休日は月曜日(月曜日が祝日の場合は営業)
住所:大阪府藤井寺市道明寺2-5-41道明寺天満宮前
0120-568-678
(外観)

中はこのような感じになっています。

(梅廼家の歴史)
新しい時代が到来した激動の明治八年、初代菰田造によって「料亭梅廼家」は誕生しました。
昭和五八年十一月、会席の味にさらに磨きをかけ、「割烹 梅廼家」を新設。
平成九年店舗を新しく建てなおし、現代も初代から受け継いだおもてなしの心が息づいています。
梅廼家の料理には、「道明寺粉」を使っており、道明寺粉とは、平安時代に、菅原道真公の叔母の「道明寺の覚寿尼」が大宰府に流された道真公を思い、大宰府に向かって毎日ご飯をお供えし、それを人々に分けたところ、病気が治ったということから、餅米を乾燥させてお寺で提供するようになったことが道明寺粉の由来です。

この写真は、梅廼家の中にある菅原道真が書いた俳句です。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」
訳は、(春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな。)という意味で、素晴らしい句だなと思いました。
梅廼家は、外観も中も高級感が漂っており、すごく雰囲気の良い料亭でした。まだ料理は食べたことがないので、いつか食べに行きたいと思います。
9月27日 (水) 道明寺天満宮と料亭・梅廼家に訪問してきました。
まずは、道明寺天満宮について紹介をします。

住所:藤井寺市道明寺1-16-40
営業時間:9時~17時
道明寺天満宮は、土師氏の氏神として成立し、のちに土師氏の子孫でつながりの深い菅原道真を祭紙に加え天満宮となりました。
学問の神様として信仰を集めています。宝物館には、菅原道真公の愛用の品と伝わる国宝、伝菅公遺品をはじめとして多くの貴重な文化財が所蔵されています。梅の名所として名高く、毎年2月から3月にかけて多くの参拝者が境内の梅園を訪れます。

上の写真は、道明寺天満宮の中にある「撫で牛」と呼ばれる牛の像です。
撫で牛とは、自分の体の悪いところを撫でた後、その牛の同じ個所をなでると牛に悪い病気が移り、治るという風習です。
撫で牛は、ベタッと地面に座り込んでいます。これには意味があり、それを紹介したいと思います。
901年、菅原道真は、政治闘争に敗れ北九州に流されます。その後失意のうちに亡くなり、遺体が牛車で運ばれているときでした。牛がある場所で突然へたり込んで動かなくなったそうです。
これは、菅原道真が、ここを墓にしてほしいとの意思と判断し、その場所を墓所としました。それが後の太宰府天満宮となります。
それ以降、菅原道真を祭る神社は「天満宮」と呼ばれ、天満宮では牛が神獣とされています。そして撫で牛は墓所を決めるきっかけとなったへたり込みがイメージとなっています。
次に、さざれ石について紹介します。

さざれ石も道明寺天満宮の中にあるもので、国歌の「君が代」の歌詞にでてきます。
この岩は、白亜紀後期(約七千年前)の和泉層礫岩です。悠久の歳月の間に多くの小石が寄り集まってできたもので、河内長野市滝畑から平成の御大展記念として、道明寺天満宮に移されました。
撫で牛のポーズに意味があったり、国歌の歌詞に出てくるさざれ石があったり、道明寺天満宮にすごく興味を持ちました。
推古天皇の時代からある神社らしく、歴史を感じました。
次に、料亭・梅廼家について紹介します。
梅廼家は、道明寺天満宮の石段下にある料亭です。
料亭:11時~22時、最終スタート、19時から。
割烹:11時~14時、13時~21時30分です。
定休日は月曜日(月曜日が祝日の場合は営業)
住所:大阪府藤井寺市道明寺2-5-41道明寺天満宮前
0120-568-678
(外観)

中はこのような感じになっています。

(梅廼家の歴史)
新しい時代が到来した激動の明治八年、初代菰田造によって「料亭梅廼家」は誕生しました。
昭和五八年十一月、会席の味にさらに磨きをかけ、「割烹 梅廼家」を新設。
平成九年店舗を新しく建てなおし、現代も初代から受け継いだおもてなしの心が息づいています。
梅廼家の料理には、「道明寺粉」を使っており、道明寺粉とは、平安時代に、菅原道真公の叔母の「道明寺の覚寿尼」が大宰府に流された道真公を思い、大宰府に向かって毎日ご飯をお供えし、それを人々に分けたところ、病気が治ったということから、餅米を乾燥させてお寺で提供するようになったことが道明寺粉の由来です。

この写真は、梅廼家の中にある菅原道真が書いた俳句です。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」
訳は、(春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな。)という意味で、素晴らしい句だなと思いました。
梅廼家は、外観も中も高級感が漂っており、すごく雰囲気の良い料亭でした。まだ料理は食べたことがないので、いつか食べに行きたいと思います。
2017年11月27日18:16
初取材は2人で!歴史のある、老舗の酒蔵=藤本酒造訪問(上野・二澤)
経営学部2回生 上野&二澤です!
藤本雅一酒造醸に行きました。
創業は大正2年で藤井寺唯一の老舗酒造業者です。


写真は、藤本酒造で販売しているお酒です。
昭和50年に完成した、吟醸原酒 松花鶴(しょうかづる)は、力強いうまみとまろやかな口あたりが楽しめます。
平成13年に完成した、吟醸 雅一(みやびいち)は、豊かな風味と程よいコクの余韻が調和する、フレッシュあふれる吟醸です。
平成18年完成の吟醸 井真成(いのまなり)は、藤井寺出身の日本人留学生、井真成(いのまなり)が藤井寺への里帰りを記念して造られたお酒です。
井真成は、中国西安で発見された墓誌に、日本人留学生として記されていた名前で、日本の国号を「日本」と記述した最古の例となっています。これは考古学的にも大きな発見で、全国的にも大きな反響を呼びました。
そして1番新しい、原酒 玉瑞(たまみず)などがあります。
玉瑞は、10年間貯蔵したまろやかな口当たりのお酒で、今まで製品として販売していなかった普通酒の原酒です。
このほかにも、創業当時から販売している、清酒 富士正(ふじまさ)があります。
藤本酒造のお酒は、大手流通や卸に出さず、昔から伝えられた、直売りで販売しています。
お酒をつくる工程はたくさんあり、
精米→洗米→蒸米→麹作り(こうじづくり)→酛作り(もとづくり)→本仕込み→搾り→濾過・火入れ→貯蔵
このあとビン詰め、そして販売となります。

右に写っているタンクで、約2~3年貯蔵しています。
そしてこの機械でビン詰めを行っています。

今回、藤本酒造に訪問して、店に入ったところからお酒のいいにおいがしました。
また、お酒をつくるのには、様々な工程があり、かなりの時間と労力が必要だと感じました。
でも、時間かけるからいいお酒ができ、長年にわたって愛されているのではないかと思いました。
ここまで藤本酒造や、お酒についていろいろ書きましたが、実はまだお酒が飲める年齢ではありません。
はやく誕生日を迎えたいなと、切実に思います。
【藤本酒造】
藤本雅一酒造醸に行きました。
創業は大正2年で藤井寺唯一の老舗酒造業者です。
写真は、藤本酒造で販売しているお酒です。
昭和50年に完成した、吟醸原酒 松花鶴(しょうかづる)は、力強いうまみとまろやかな口あたりが楽しめます。
平成13年に完成した、吟醸 雅一(みやびいち)は、豊かな風味と程よいコクの余韻が調和する、フレッシュあふれる吟醸です。
平成18年完成の吟醸 井真成(いのまなり)は、藤井寺出身の日本人留学生、井真成(いのまなり)が藤井寺への里帰りを記念して造られたお酒です。
井真成は、中国西安で発見された墓誌に、日本人留学生として記されていた名前で、日本の国号を「日本」と記述した最古の例となっています。これは考古学的にも大きな発見で、全国的にも大きな反響を呼びました。
そして1番新しい、原酒 玉瑞(たまみず)などがあります。
玉瑞は、10年間貯蔵したまろやかな口当たりのお酒で、今まで製品として販売していなかった普通酒の原酒です。
このほかにも、創業当時から販売している、清酒 富士正(ふじまさ)があります。
藤本酒造のお酒は、大手流通や卸に出さず、昔から伝えられた、直売りで販売しています。
お酒をつくる工程はたくさんあり、
精米→洗米→蒸米→麹作り(こうじづくり)→酛作り(もとづくり)→本仕込み→搾り→濾過・火入れ→貯蔵
このあとビン詰め、そして販売となります。

右に写っているタンクで、約2~3年貯蔵しています。
そしてこの機械でビン詰めを行っています。
今回、藤本酒造に訪問して、店に入ったところからお酒のいいにおいがしました。
また、お酒をつくるのには、様々な工程があり、かなりの時間と労力が必要だと感じました。
でも、時間かけるからいいお酒ができ、長年にわたって愛されているのではないかと思いました。
ここまで藤本酒造や、お酒についていろいろ書きましたが、実はまだお酒が飲める年齢ではありません。
はやく誕生日を迎えたいなと、切実に思います。
【藤本酒造】
住所:〒583-0024 大阪府藤井寺市藤井寺2丁目1−10
電話:072-955-0018
2017年11月27日17:45
藤井寺市観光協会 20周年 まほら藤井寺で四天王寺大学生がボランティア参加!(隊長 あまやん)
隊長の、あまやんです。

世界にも類をみない巨大古墳を有する、古市古墳群のある藤井寺市は、ユネスコ世界遺産登録をめざし、、様々なイベントを通じてPR活動に取り組んでいます。

津堂城山古墳は、その上に城が築かれたという経緯もあり、明治時代までは古墳という認識がされず、一部は住宅地化されるなどした経緯もあり、現在は立ち入り、登頂が可能な古墳として整備され、ピクニックも楽しめる楽しい古墳です。
今回は、子供たちが思い思いに彩色したプロペラによる古墳のデコレーション、古墳型の大凧上げ、FRAP参加店によるマルシェが開催されました。

風には恵まれませんでしたが、皆で大凧をひっぱり、見事空に舞い上がりました。


IBU デラ充 ふじいde Loversもボランティアに参加しお手伝いをさせていただきました。
少し寒い一日でしたが、多くのお客様に喜んでいただき、メンバー一同ハッピーな気分で過ごしました。

